その翌日、主人は再び焼きました。
先日、私はクレープを作りました。
おととい、夕食はダンプリングでした。
粉だらけです。
主人は、パン作りの改良をすべく
ネットで情報を集め、
1回目よりさらにおいしく。
申し分ありません。
前日のより膨らみもよく、
皮のパリッと感がアップしています。
本人曰く、「きのうはこねが足りなかった」
前日は、嵐の中のパン作りでした。
今回は快晴。
日ざしポカポカです。
そのお日様の力を借りて、発酵。
上にのっているのは温度計。
直射日光だと温度が上がり過ぎるので、
ちょっと日陰にずらしたり。
いろいろと工夫。
あーあ、軽井沢でジャム買ってくればよかったなあ。
いつもは必ず買うんだけど、
今回は敢えて買わなかったんですよね。
最近甘いものを食べることが減ったから。
主人のパンにつけて食べたら
さぞうまかろうて。
さて、私はクレープ。
初めて焼いたのは、小学校4年生のときでした。
はい、忘れもしません。
だって、
その当時の担任の先生宅へ遊びに行ったとき、
焼いて持って行ったのですから。
でも、先生は、
「私はいいわ。あなた食べなさい」
と言ったのです。
驚きですよね、このせりふ。
先生に食べてもらいたくて
生徒が一所懸命作っていったのに。
ま、その先生、ほかにもちょいと難ありで、
最後は教壇を去ることに。
失礼ながら、納得。
と、あまり楽しくない記憶もあるけど、
愉快な思い出も。
中学校・高校生の頃、
土曜のお昼などにクレープを作りました。
タネをねかせ、具を用意して。
すると、わが家の女性陣がどこからともなく
お皿を持ってぞろぞろ現れ、
クレープパーティーの始まり、始まり。
テーブルの真ん中にホットプレート。
焼けるそばから手がのびて、はけていきます。
具は、鶏とミックスベジタブルを炒めたもの、
生クリームを泡立てたもの、
チーズ、などなど。
私が一番好きだったのは、
アツアツのクレープに、溶けたバターだけ。
このシンプルなのが、いい。
具を巻いてしまうとわからなくなる、
生地のしっとり感。
これを最高に味わえるのが、バタークレープ。
と、思い出を胸に、久々のクレープ。
シーフードミックスとアスパラを
ホワイトソースであえて。
リンゴをさっとワイン煮したものに、
メイプルシロップ&シナモン。
あっという間にタネがなくなっちゃった。
こんど作るときは、倍量にしよう。
次は。
ダンプリングシチュー。
上の写真、
9時の方向に見えるのがダンプリングです。
簡単にいうと、洋風すいとんですね。
日本のすいとん同様、
少々貧しい食べ物の部類のようです。
かさが増やせますからね。
戦中世代の方にはうけないかもしれません。
小麦粉、ベーキングパウダー、卵、牛乳で
タネを作り、
グラグラ煮えている鍋の中へ
スプーンで落としていきます。
前から作ってみたかったんです。
今回、急にこれに決めました。
理由?
その日は買い物予定日だったのですが
台風が来ちゃって、買い物、パス。
家に肉類がなかったので、
ダンプリングシチューにして、
溶けるチーズを散らしてみようと。
もっちりとおいしいです。
気に入りました。
というわけで、
パンだ、クレープだ、ダンプリングだと
小麦粉シリーズのわが家でした。
実はスコーンも焼く予定でしたが、
これは、延期。
スコーンも好きです、私。
高校生の頃、
雑誌に出ていたのを初めて作ってから、
かれこれ○十年作ってますね。
その雑誌の切り抜き、
今でも持っているんです。
さて、何を隠そう、
きょうこれからクレープのタネを作ります。
お昼に食べようと思って。
倍量です、倍量。
おいでくださいましてありがとうございます。
数文字でけっこうです、ぜひコメントをお残しください。
「読んだ」でも、「ほぉ」でも、「食べたい」でも。
その一言が励みです。


クレープは私も大好きです!
関西人であるが故、粉もんには
大いに反応してしまいます。
いろいろな具をのせて、おいしそうですね。
でも私もシンプルなバターだけのが好みです。
高校生のときにつくったクレープを
我が家に最初で最後に遊びに来ていた祖母が
「すごくおいしい。作り方をおしえて」
と言いました。
「いつもひとりで昼食をとっている。
即席のワンタンメンとごはん」
と、日中一人になる祖母は言っていました。
でも、私は面倒に感じ、作り方を
口頭で簡単に伝えたのみでした。
それから7年後、祖母は亡くなってしまいました。
たぶん祖母はクレープを作れなかったと思います。
祖母は無口で、
あまり私と交流はありませんでした。
でも、ちゃんと紙に書いて教えてあげればよかった。
今でもそう思います。
きりんさんも、バターだけのクレープがお好きですか。
シンプル・イズ・ザ・ベスト、ですよねー。
クレープにはおばあさまの思い出がつまっているのですね。
亡くなった方に対して、人は、
「ああしてあげればよかった」
と思うものですね。
その思いは亡くなった方に届き、
「そう思ってくれるだけでうれしい」
という言葉が返ってくると私は信じています。はい。